史跡「広村堤防」
松とともに桜の木が植えられた土手に、春になると桜が満開となるこの史跡「広村堤防」は、「天災は
忘れた頃に来る」こと、一人ひとりが津波から生き残るための防災意識を心に持ち続けていくことを後世
に伝えるための「感恩碑」が残っている。
広村堤防の構造と断面図
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- 海側から(右から左に向かって)、15世初頭に畠山氏が築いた波除石垣(防浪石堤) 感恩碑
浜口梧陵が植林・築造した松並木(防浪林、防潮林)と土盛の堤防(防浪土堤)
稲むらの火の館
ゆかりの地、和歌山県有田郡広川町には、その偉業と精神、教訓を学び受け継いでいくため、
2007年(平成19年)4月22日、浜口梧陵記念館と津波防災教育センターから成る「稲むらの火の館」が設立された。
駐車場も完備されており、防災の心を学ぶ場としての貴重な歴史遺産を見学するため、ここを訪れる人はあとを絶たない。
付近には、津波の史実を伝える資料を残こす養源寺、赤レンガの蔵が残る街並みや、「広村堤防」とともに、今もこの土手
を静かに見守る浜口梧陵の像が町立耐久中学校の校庭にある。
津波の怖さを知る心を
津波の怖さを知りながら、福島第一原発の建設当時、これまで津波の被害を経験していなかった35メートルの高台となっていた台地を25メートルも削り崩し、あえて低い土地としたばかりに東日本大震災で15メートルの大津波に襲われ、放射能漏れを起こす羽目になった。
地盤の強度や原子炉を冷やす海水の取り入れ安さを考慮し、地表から25メートル下にある泥岩層まで掘り下げることを優先した結果、津波の災害を招くことになったのだ。
災害のあと新たに配備された非常用電源は、皮肉にも津波の教訓を生かし、後背地にあたる掘削前の高台にある。
悔やみきれないこの人為的な愚かな所業を戒めとし、津波の怖さの警鐘となるよう、「稲村の火」を自分自身の心の奥に置いておきたい。
新しい津波警報の運用
現在の「稲むらの火」といえる新しい大津波警報・津波警報・注意報の運用が、2013年3月7日から始まった。
気象庁は、地震が発生した時には地震の規模や位置をすぐに推定し、これらをもとに沿岸で予想される津波の高さを求め、地震が発生してから約3分(一部の地震※については最速2分以内)を目標に、大津波警報、津波警報または津波注意報を発表する。
※日本近海で発生し、緊急地震速報の技術によって精度の良い震源位置やマグニチュードが迅速に求められる地震
この時、予想される津波の高さは、通常は5段階の数値で発表するが、地震の規模(マグニチュード)が8を超えるような巨大地震に対しては、精度のよい地震の規模をすぐに求めることができないため、その海域における最大の津波想定等をもとに津波警報・注意報を発表する。
この場合、最初に発表される大津波警報や津波警報は、予想される津波の高さを「巨大」や「高い」という言葉で発表して、非常事態であることを伝えることになった。
予想される津波の高さを「巨大」などの言葉で発表した場合には、その後、地震の規模が精度よく求められた時点で津波警報が更新され、予想される津波の高さも数値で発表される。
携帯電話、ラジオ、テレビ、防災無線等で伝えられる大津波警報・津波警報・注意報は、命に関わる情報と心得るとともに、巨大地震を感じたらすぐさま高台に逃げることが大事だ。
3.11の後、学校における危機管理マニュアルが見直され、津波が予想されるときはまず、高台へ避難することが強調されている。
肝心なことは津波の怖さを十分知って、災害予測地図(ハザードマップ)等を鵜呑みにすることなく、即座に適切な行動をとれるようにすることだ。