お天気Q&A

気象台の語源とは?

江戸時代の気象観測  浅草天文台


天文台(九段坂測量所)

     天保13年(1842年)に渋川景佑らの尽力で九段坂上にもう1つの天文台(九段坂測量所)が設置されて天体観測に従事した。さらに拡張されて浅草第1と第2、および九段の3天文台となり、台長3人、観測係22人、編暦係2人、補助員17人など、合計63人という規模となった浅草・九段坂両天文台は幕府崩壊まで存続し、明治2年(1869)に業務を停止、明治5年に廃棄されるまで天体観測、改暦頒暦事業、蘭書和解事業が行われた。そこで使われていた機械類は開成学校(東京大学の前身)に引き継がれたという。
     このほか、江戸幕府時代の天文台の組織は、会津藩の天文台、薩摩藩の天文館などがあった。

九段坂測量所の彗星測量簿
九段坂測量所の彗星測量簿

温度計のことはじめ

     1592年 - ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei;1564~1642)が中に空気と水を入れ球部付のガラス柱を水面に倒立させて、球部を暖めることによって、空気の膨張の度合いでガラス管中の水が上下する仕組みの「空気温度計」が発明されたのがことはじめ。 1631年フランスのレーが水の熱膨張を利用した温度計を、さらに1640年ごろ、イタリアのフェルディナンドがアルコールの熱膨張を利用したものを作り出し、便利さを増した。 1660年ごろには既に日本にもたらされ、当時オランダやポルトガルなどからカピタンの持参した献上品の中に昇降図とか、機管硝子という名称があり、これは温度計のこと。
 ケムプェルの「江戸参府紀行」によると、元禄5年(1692)3月18日、京都で所司代、町奉行に謁見のとき、寒暖計の用法を説明した。

     1702年 - デンマークの天文学者 オーレ・レーマー(Ole Romer,1644-1710)が、水の融点と沸点を使って目盛りをふった温度計を製作。 1714年 - ガブリエル・ファーレンハイト(Daniel Gabriel Fahrenheit)が水銀を用いた液柱温度計を発明。

     天野借景の書いた「塩尻」(宝永3年、1706)に「近世阿蘭陀ヨリ渡ス昇降図、四季ヲ知ル者」という記述や、西川如見(天文・地理学者。長崎生まれ。儒学と南蛮系天文・暦学・地理学などを修めた)「増補華夷通商考」(宝永5年、1708)でオランダの土産物に「昇降図」というものがあったことを述べ、次のような割註「長一尺計ノ木ノ中二小キヒイトロ(「ヒイトロ」は「ビイドロ」でガラスのこと)ノ樟ヲ入テアリ、其ヒイトロノ樟ノ内ノ水、春夏秋冬ノ四季二応ジテ昇り降ルナリ、柱二掛テ置テ、節ヲ見ル者ナリ、商売ノ物ニハ無之、尤二品アリ」にも、寒暖計の記述がある。

ガリレオ温度計
液体中にそれぞれ質量と体積の違う浮き子を入れ、液体の比重が温度によって変化するのに伴って浮沈する浮き子に表記された数字で,大まかな温度を示す。

日本の温度計のことはじめ

     日本の温度計のことはじめは、平賀源内が明和2年に長崎通詞書雄幸左衛門が出府の節にオランダ製の「タルモメイトル」(寒暖計)を見せてもらい、明和5年(1768)正月この器械を模造し、「日本創製寒熱昇降図」と名付けた。  
     有名な杉田玄白の「蘭学事始」(文化12年、1815)には「テルモメートル寒暖験器」とあり、また司馬江漢の「春波楼筆記」(文化8年、1811)には「寒暑昇降」をもって測った文化6年冬の寒さが記録されている。
     寒暖計の製作は平賀源内以後、広瀬周白や福島県梁川町在住の養蚕家中村善右衛門により改善の手が加えられ、天保11年(1840)には二本松の藩医稲沢宗庵が用いた験診用の体温計をもとにした寒暖計を作った。


測器を使った気象観測のことはじめ

     徳川実記によると八代将軍吉宗は享保元年(1716)に江戸城本丸の風呂屋口と吹上庭園に雨量計をすえ付けて雨水の深浅を座右の日記に記録させた。  
     和算家の建部弘貿は「極星測算愚考」(享保十三年、1728)「今欲降雨之勢、乃庭上定一器傍設備漏刻而期時刻、記雨水所溜幾分寸則可以得見雨勢之強弱、名之謂雨尺」と雨量計は「雨尺」と呼ばれていたことが分かる。  
     我が国において、測器を用いた気象観測の記録として最も古いものは長崎におけるスウェーデン人ツンベルク(Thunberg)によるもの。安永4年(1775)4月渡来、カピタンの江戸行にも随行し、長崎、江戸で、毎日朝、正午、午後、夜の4回、詳細な気温の観測をしている。気温の目盛りは華氏が使われた。気圧計は持参しなかったので、その代わりに風や天気等の詳しい記述をしている。
     ツンベルグの日本紀行の仏訳者ラングルス(L.Langles)は、ツンベルグの帰国後、オランダ領事館員が出島において気象観測(Observations meteorologiques faites a Nagasaki en 1779)の記録をとり続けて計算した長崎の月平均値を追補した。


気圧計のことはじめ

     気圧計(晴雨計)は、17世紀にヨーロッパで、トリチェリ(Evangelista Torricelli、1608~1649)、パスカル(Blaise Pascal、1623~1662)たちによって気圧という概念ができると共に、それを測定する気圧計が発明された。
     この気圧の研究に関連して登場する人物にドイツのマグデブルグ市長であったゲーリケ(Otto von Guericke、1602~1686)がいる。ゲーリケは気圧の測定を連続して行い、同一の場所でも時間に伴い変化すること、特に気圧の急激な降下が示されたあとに暴風となることなどに気づいた。これは天気を予測する一つの目印となることであり、重要な発見であった。


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