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お天気Q&A|気象予報士・伊東譲司のオモシロ天気塾


お天気Q&A

気象台の語源とは?

江戸時代の気象観測  浅草天文台


御雇外人からの気象観測の建議

 明治元年に灯台建設のため来日したイギリス人の測量師長マクビーン(C.A.McVean)と、測量助師イギリス人ジョイネル(H.B.Joyner)( 明治3年に京浜間鉄道布設のために来日)は、明治4年に工部省測量司に招へいされた。このジョイネルが気象観測の必要性を建議し、明治6年5月工部省測量司は気象台を設けることを決めた。


明治8年に始まる気象庁の歴史

明治8年(1875)5月、東京赤坂葵町の内務省地理寮構内にこれらの器械の据付けが完了し、東京では函館気候測量所の発足に遅れること3年、明治8年(1875)6月1日に、東京気象台が創設され(この日が「気象記念日」となった)、イギリス人ジョイネルを雇い、1日3回の定時気象観測が始められた。気象庁の歴史の出発点はここに置かれている。


結論!「台」とは「うてな」

結論として、気象台の「台」は浅草天文台の記述にあるとおり、うてな【台】四方を観望できるように作った高い土壇建物と捉えることができる。
 天文方の著作である『寛政暦書』などにより、明治初期にいたるまでは、気象観測の場所としては、「測量所」または「測量台」が採用されているが、別名として「司天台」「観象台」などが併記されている。
 また、「観象台」は明治初期に開成学校(後の東京大学)や海軍省水路部が採用しており、当時は気象台の機能を兼ねていたことが記されている。さらに燈台、燈船における気象観測もされていた。

 東京気象台は、明治17年(1884)7月1日、江戸城の旧本丸(代官町)に移転し、天体観測及び緯度経度計測のための天測塔と気象観測の風力塔を兼ねたれんが造りの建物であったが、その後、地理局測量課の業務のうち測量事務は、明治17年5月、陸軍参謀本部に、観象、編暦の事務は、明治21年9月、東京天文台に移管されたので、旧本丸には東京気象台だけが残ることになった。

うてな
気象台

あとがき

     気象観測は明治に始まるものではなく、19世紀の初めから江戸の天文台等において天文観測と共に行われていた。 これは西欧において初期の気象観測が天文台で行われていたのと同様であった。  
 さらに遡れば、陰陽道に行き着くと共に、中国の「古観象台」に由来が求められることとなった。
  古代から人間と自然のつながりを探求する「観象台」は、科学の進歩と共に様変わりしていくのであろう。
現代では、さしずめ静止気象衛星「ひまわり」が宇宙からこの役目を担っている。


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