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巨大地震と津波の教訓

稲むらの火


忘れてはならない3月11日

     東日本大震災が起きたのは2011年、3月11日だった。
被災地の復興は、まだまだの状態でいる。そんな中、3月11日が来るたび思い起こす震災の恐ろしさ。
マグニチュード9.0の巨大地震のあと、大津波警報が出たのち押し寄せた津波の濁流に家々が流され、
東北地方から関東地方の太平洋側で行方不明者を含め約1万8600人の尊い命が失われた。
 今でも時折「緊急地震速報」の音が聞こえ、余震は続いている。
  仮設住宅やもろもろの地域で避難生活を余儀なくされている人たちはまだまだ多く、地震発生後大津波警報が出たら、すぐさま高台に向かって避難をすることが最も大事という教訓が、語り継がれていくこととなった。


稲むらの火

     地震が起きたら津波が来るということを昔から言い伝えとしてきた話がある。「稲むらの火」がそれで、津波に対する正しい知識を小学生に覚えてもらうため、1937年から約10年間、国定国語教科書に掲載されていた。
 その津波の教訓を子どもたちに再び伝えるため、震災後小学5年の国語教科書にその話が64年ぶりに復活している。

  • 稲むらの火 稲むらの火

話の内容は

     「高台に住む庄屋の五兵衛は不気味な地震の後、急激な引き潮を目撃し、津波来襲を予想したが、これに気づかない海辺の村人に伝えに行くには時間的余裕がない。とっさの機転で決心した彼は、 『もったいないがこれで村中の命が救えるのだ』と取り入れたばかりの稲むらに次々に火を放った。この火を目撃した村人達は、全員消火のために高台に駆け上がり、押し寄せた津波から危機一髪で救われた。」
 この話は「1854年安政南海地震津波の際に、紀州広村(現和歌山県広川町)の浜口儀兵衛(梧陵)が稲むらに火を放って暗夜に逃げ遅れた村人を避難誘導した。」という実話をもとにラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が明治時代に書いた感動の物語である。

  • 稲むらの火     

      高さ約5メートルの大津波が15世紀初頭に築かれた波除石垣を乗り越えて村を襲い、背後の田んぼに浸入している。 特に村の南北を流れる江上川(右側)と広川(左側)に沿って激しく流入している様子が描かれている。浜口梧陵(写真)は、田んぼの稲むら(地元では「すすき」と俗称) に火を放って、暗闇の中で逃げ遅れていた村人を高台にある広八幡神社(右上の鳥居の奥)の境内に導いた。

養源寺津波の図
「嘉永七年十一月五日 廣高浪之図1854年広村を襲う安政南海地震津波の図 (養源寺所蔵)

浜口儀兵衛(梧陵)

     浜口儀兵衛はさらに、長期的な津波対策と被災した村人に当面の職を与えるため、莫大な私財を投じて海岸に防潮堤を築いたことでも知られている。
 梧陵は、海岸に高さ約5メートル、長さ約600メートルの堤防を築き、その海側に松並木を植林した。
 約4年間にわたったこの大工事に村人を雇用することによって津波で荒廃した村からの離散を防いだのだ。
 実は、この「浜口儀兵衛」とは千葉県の銚子を代表する老舗企業「ヤマサ醤油」の創業者から続く当主の名前で、梧陵は七代目浜口儀兵衛となった人である。
     ヤマサ醤油のホームページから沿革を拾い出すと1645年に「廣屋儀平衛商店」として創業。
 初代・濱口儀兵衛が「山笠にキ」の暖簾(のれん)を考えるが、「紀州徳川家」の船印と同じだったため、キを横向きにしたところ、サと読めることから「ヤマサ」としたとある。
 1864年に「江戸幕府」より品質の優れた醤油として、「最上醤油」の称号を拝領、商標の右上にある「上」の由来となった。

              浜口梧陵

   梧陵は1820年に、紀伊国有田郡広村に生れ、12歳のとき本家の養嗣子となり、初めて江戸を経て銚子に赴く34歳で儀兵衛(七代目)と改名して家督を相続。
 安政元年(1854年)、広村に津波が襲来し、儀兵衛が救済にあたったのは35歳のときであった。
 その後も、活躍の場は広がって、49歳、明治元年、藩政改革で抜擢されて勘定奉行、52歳、明治4年、駅逓頭(現在の郵政大臣に相当)、次いで和歌山県知事に任ぜられた。
 晩年は、明治17年に65歳で横浜を出帆し渡米、ナイアガラの滝見物などをしたとか。
 翌年66歳で米国ニューヨークで客死。
 最後には、広村に棺が帰ったとある。

  ヤマサ醤油の商標
  町立耐久中学校の校庭にたたずむ浜口梧陵の銅像 

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