お天気Q&A

気象台の語源とは?

江戸時代の気象観測  浅草天文台


日本における気圧計の記録

     明和・天明のころ、志筑忠雄「暦象新書」中編(寛政十二年、1800)に「簿気」という項目がある。彼はここでトリチェリの実験(1643)についてかなり詳しく述べたのち、彼自身が長崎で行った実験実測について次のように記述している。
     「又和蘭国の日記を見るに、水銀最高の時30栂、最卑の時27栂余なり、総じて赤道に近き国にて昇降少く、赤道に遠き地にては昇降多しと云へり、天明9年(1789)春、予長崎に於て是の器を製して試むるに、当時水銀の長け二尺三寸五六分にありて、共の後昇降四五分に過ぐることなし。和産のガラス性悪しきが故に、一二月の後はや沸気漏り入りて終に廃しぬ。……」これが邦人による晴雨計製作ならびに気圧観測の事始。

     19世紀初頭に泉州貝塚の岩橋善兵衛菩孝によって晴雨計が作られ「平天儀図説」(享和元年、1801序、同2年新刻)の末尾で次のように記載、「天気計器」ウェールガラス 出来此器ハ風雨陰晴ヲ予メ知ルノ器ナリ、就中風ヲ測ルコトヲ主トスル故ニシケノ強弱時刻ノ長短二至ルマデ微細二知レルナリ、且此器ハ誠二天ノ理二法リクル故ニ、コレヲ用フルニ別ニ法則ナク、共棲置ク時ハ天ノ気自然ニ応ジテ此器ノ中ニアラワルルコト甚ダ妙ナリ」

     文化7年(1810)には馬場佐十郎が「天気計儀訳説」を記述したが、天気計は晴雨計のことであり、彼はまたこれを占気筒とも呼んだ。文化12年の「蘭学事始」には「ウェールガラス天気験器」とあり、Weer glassとは晴雨計のこと気圧計の用語としては詮気管、験気管、晴雨ガラスなど様々。


気象の書籍

「颶風新話(ぐふうしんわ) 」

     気象の書籍も刊行されて、幕末の気象学書としては土井利位の「雪華図説」(天保3年、1833)や、我が国に最初に翻訳された気象学専門書、伊藤慎蔵訳の「颶風新話」(安政4年、1857)などがあった。また、1810年頃から60年以上続いた天候予報の「農事暦」のひとつ「早見年中晴雨考」には、雨や晴の記号表示が今に通じるものがある。

「颶風新話」その1 「颶風新話」その2
「颶風新話」その3
「颶風新話」


「雪華図説」

  • 「雪華図説」その1
    「雪華図説」
  • 「雪華図説」その2


「早見年中晴雨考」

  • 「早見年中晴雨考」
    「早見年中晴雨考」

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