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気象台の語源とは?

江戸時代の気象観測  浅草天文台


気象台の【台】って何?

気象観測のことはじめにつながる「台」。古代の気象観測はどこでやっていたのだろうか。
キーワードは『現代の中国の気象台の呼び名』
気象を観測する場所「観象台」=「天文台


北京古観象台

「北京明・清両時代の天文台が新たな観光地に」

北京・建国門立体交差橋の西南に位置する「北京古観象台」は、明の正統7年(1442年)に建造され、明・清の両時代にわたって使用された皇室の天文台だ。レンガ積みの城壁のような観象台の高さは14メートル、頂上の部分は南北20.4メートル、東西23.9メートルで、紫微殿、漏壷房、暑影房(日の影によって時間を計測するところ)などからなる。同天文台は明の正統元年から1929年にかけて、約500年間にわたって天文観測を行ってきた。1982 年に全国重点文物保護単位(重要文化財)に指定され、1983年から改めて一般公開されている。
国外でも高い名声を得ており、諸外国の政府首脳、科学者らが参観に訪れている。
<写真提供:おぎのかずとし 撮影日:2000年8月>

  • 北京古観象台
    北京古観象台
  • 銅製天文計器
    銅製天文計器

    北京の「天文台」の原型は明の時代より前の元の時代1279年に大都の東南隅に元の皇帝フビライ・カンKhubilai-Khanが造らせた観象台がもとで、当時河南省嵩山に ある観象台と連携して観測していたと云われ、
現存する世界最古の天文台とある。
    明代は「観星台」と呼ばれ、清代に「観象台」と改称された。清代に造られた精密な造りの大型の銅製天文計器(天体観測器)8点の復元品が陳列されている。これらの計器は計測データも正確で、現在でも使用が可能なほどだという。


古代の暦と占星術

    中国の暦法を遡ってみると、古代中国では日の出前、あるいは日没後に、恒星によって季節を知るのに利用した星を辰(シン)とよび、殷(イン)の時代アンタレース(さそり座のアルファー星・中国では大火:タイカと呼んだ)を辰とし、夕方南中する時を夏5月としたころが始まりと考えられる。太陽と月の運行の数式を出して、それらを組み合わせ天体運動の法則性をもとに、朔望(新月や満月)の日を決めて太陰太陽暦を作った。と同時に多くの異常な天体現象に対しては、そこに何ものかを超え、その外または上に位置するものの存在を感じ取り、天体現象が人間の運命を支配するという思想がうまれた。

天体現象は天が支配者に下す前ぶれと考え、儒教と結びつく。
こうした思想を背景にして占星術が生まれた。
    占星術を認める思想は社会全般に広く行き渡り、漢代の改暦では讖緯説(しんいせつ=中国漢代以後に行われた神秘思想で、自然界と人間界とは密接な関係があるとして、讖(未来を予言した書)と緯(経書を神秘的に解釈した書)を中心に五行説も併せて自然界の現象によって人間社会におけるいろいろな出来事を予測した)を取り入れた四分暦、太初暦がつくられた。
    この説は日本へは飛鳥時代ごろに伝わり、のちの陰陽道(おんようどう) として受け継がれていった。


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